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避難区域は今・・・ [原発、津波被災地へ]

旅を終えて、今朝は畑へ。
ここだって茶畑は基準を超えて放射能の影響を受けたところがあり、出荷できなかった。
私の畑だってきっと あるのだろう。見えない脅威の放射能が。
だから忘れないうちに、書いておきたい。
私の見た避難区域、解除準備区域を。

今、国道6号線、常磐道、その他県道はいわきから先、南相馬市まで遮断されている。
いわゆる浜街道と言われた道だ。
迂回ルートを教わって走ったが総距離は150キロあった。
49号線は避難地とはずれているが、349号線は東は避難区域だ。
田植えされているところは大丈夫なのだろう
のどかな山村という感じだが、東に避難区域が伸びているから
数値上はギリギリOKでも、影響は受けているに違いない。
道路地図ではわかりにくいので、地形図を出してみた。
第一原発のすぐ近くには水田があり、小さなため池が多く、また民家も多い。
大熊町と言われるところだ。
浪江町は川のデルタ地帯が穀倉地帯となっている。
また双葉町は小高い丘の中に川が流れていて主に水田が広がる。
富岡町、楢葉町も同様に、6号線に沿って、人が生活している。
地形図には、家まで記されているからわかりやすい。
そして原発雇用によって町は少しずつ豊かになり人も増えたのだと思う。
天明の飢饉で餓死者が出たというのもうなずける。平野部が少ない。
そして避難区域の大部分を占めるのは山林だ。主に北西の部分は山また山である
200メートルから800メートルくらいの山が続いていて、居住者は少ない。
飯館村は 私の通った県道12号線に沿って人が生活し、水田が広がる
しかし耕作面積は少ない。道もアップダウンの激しい道だった。
またその他も山があるから沢となり、その先は川の側に人が住み水田を作る。
限られた場所しか住めない。
長々と書いたが、原発が安全ならばどこに作っても良いわけです。
しかし、万が一のリスクがある。
だからこそ、影響の少ない?海があり、山が近くまで迫り、人の少ないところに作るのではないだろうか?
絶対に安全というなら、東京の電気は埋め立て地でも良いわけだ。
飯館村は居住制限区域だから人はいた。しかし店はどこにもない。
あったとしても、誰もいない。
地表を除染しても、この広大な山林の除染まではできないから、
飛散するのではないだろうか?
時間で軽減するレベルではないと思う。
旅の2日目にして、原発はもうだめだ!との思いを強くした。
大飯原発差し止めの判決文を送ってくれた友達の文章から
僥倖という言葉があったことを知った。
僥倖とは、予期しなかった幸運に恵まれたという事らしい。
あの時、外国人は一斉に国外退去したが、私たちはそんなことは知らなかった。
万が一の僥倖がなければ、関東圏は避難区域となり住めなくなったに違いない。
この場所のように・・・・
誰も責任を取らない。取れない。
人知の及ぶことではないのです。

私は本当に馬鹿で、水素爆発という言葉から メルトダウンしたという事がわからなかった。
ただちに影響は受けないという政府見解を信じ、
あまり重大に考えなかった。
本当の事を言うとパニックになるというのもわからないではないが
知らないという事は 恐ろしいと思う。

原発特需で、いわきのホテルは満室が多い?
現場の方が多かった。
また、原発避難民は一人当たり10万円支給されているから
拠り所を失った人たちは、昼間からパチンコや酒に依存し
また、病院なども混むから本来の市民の待ち時間が長くなり一日仕事となる。
「避難民帰れ」という落書きがかかれたりする背景だ。

3年たてば、絆だけではどうしようもない。
昨日福島を通過したが、原発の原もなかった。
ただ4号線に面して、避難民の仮設住宅案内看板だけがあった。
頑張ろう!福島というようなスローガンはなかったように思う。
津波による避難者とは違う原発被害の人たち
皆、苦悩していると思う。

仮設、案内図


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