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命の不思議? [日々雑感]

ブログでも母が1月4日に入院した事を書きました。
5日の日に行きましたが、この日は何とか話が出来ましたが
その後は小さな声でかすかに応えるくらいで、会話には至りません
そしてここ半月くらいはうなずく事が意思表示です。


当初、栄養剤の点滴だとばかり思っていたのは ナント電解水でした。
今もそれだけです。もう栄養は入れられないのです。
しかしそれで1か月以上経っているわけです。
健康な時の私は一食でも抜かせない体質ですから
この驚異的な生命力には驚きます。


母が入院したのは総合病院です。

緊急を要する人が待っているので転院を何度も言われましたが
もう少し、もう少しとお願していましたが
治療の無い病人はいつまでも置いておけない。

では、母の帰りたかった施設に戻るかというと
ここでは医療行為はしませんから、戻れば命は数日でしょう

昨日など、懐メロなど聴かせ、うるさいなら止めようか?と

聞いたところ、いやいやをしました。聴いていたかったのでしょう
骨と皮になりましたが、私が誰であるかわかり
こちらの言う事もわかります。
前よりすこし反応が良くなったのです。


来週には転院する事にしました。そういう病院です。

この場合の病院は、普通かなり遠くになるのですが
なんとか都心の病院を見つけました(妹、弟のおかげです)
そしてこの時点でもう老人施設には戻れないのです。そういう決まりです。


治るあての無い入院ですが、痛みも無いですから

出来るだけ穏やかに・・・と思っています。


まったく何から何まで似ていない親子ですが

耳が遠い、注射の針が入りにくい、腎系統がよくない
改めて、似ているところを見つけました。
やはり親子でした。


終末医療については、知らない事も多く

自分の事も今のうちに考えておかなくちゃ!
今日は娘が来ましたから色々と話をしたら
せっかちすぎると言われてしまいました。
でも、意思表示は大切だと思うのですが・・・・


重い話と思わないでください。兄弟は皆充分にやったので

悔いはないのです。何かのきっかけになればと思い
書きました。



一番好きな曲は「誰か故郷を想わざる」です。3番まで歌えました
https://www.youtube.com/watch?v=Y0BLjjUlfwU


昭和13年建築の母の女学校の同窓会館 私も行きました。
国の有形文化財になっています。

okyu23.jpg




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