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ここが私の故郷だ [アウトドアー]

東京生まれの私だが、原風景の田舎がある
小学校低学年の頃から祖母について、夏の間長野へ行っていた
なぜか住所を覚えていた。
旧住所を役所に問い合わせ、今の住所を教えてもらった。ほとんど変わらず。
 
先日、兄が来た時に、もしそこへ行くのなら
一緒に連れていってほしいと頼んであったが
それが今日となった。
今の私には少しキツイ距離だからだ。
 
祖母は早くに夫を亡くしたが再婚はしなかった。
東京で知り合った着物関係の仕事をしていた長野の人と、
いま思うと内縁関係にあったのではないだろうか

たまに家に来るけれど、祖母が季節ごとに佐久へ行っていた
私たちも・・・・〇〇のおじいさんと呼んでいた
この長野の家も祖母が建てたとか。
 
インター降りてすぐに見つかると思ったがなかなか見つからない
私の記憶と兄の記憶が違うのである。1時間半ほどうろついた

諦めかけた時に、私はこの坂を下ればあの四つ角に出るのではないか?
そう思って一人で歩いた。
この行き止まりにバスが通る道がある
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そして記憶のかけらの四つ角らしきところを見つけ
行き止まりの小集落に足を入れたら
もう建て替えたと思うのに、この家知っている・・・・
そう確信した家があった。
 
その時、その家に軽トラで戻ってきた方がいた。

つかぬ事を伺いますが、ここには昔ヤギがいましたか?

ああ、いたよ!
そこに、チョコレートの会社に勤めたお兄さんがいましたか?
私です。

そこで、簡単な自己紹介して、兄たちを呼びに行った
かなり離れている。車でやってきた

その昔のお兄さんは兄のことを名前まで覚えていた。
東京の我が家に何回か来た事があるからだ。
7つくらい年上になる。私の事は前から大きかった?と聞かれた。
子供の頃の事しか知らないのだ。
 
写真を見せてくれた
ああ・・・・この人だ。私がヤギばーと呼んでいつもヤギのお乳をもらいに
行っていた。優しい人だった。二階には蚕部屋があった。

賞をもらったヤギだそうです
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私が来ていた家はおじいさんが亡くなった時点で壊して今は無い
しかし、前にあった井戸はふさがれていたけれど残っていた

井戸の横にはクルミの木があった
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昔からの人が住む小集落は 新興の住宅地とは別に
変わらぬたたずまいである
 
見つけるのに苦労したけれど、知っている方に出会えて
わたし、何か持っている。そんな感じです。
何年も来たかった私の原風景
子供の時の感覚とは離れているが、確かに私は見つけた
 
私たちが〇〇のおじいさんと呼んだ人のお墓まで連れて行ってくれた
60年振りだろう
ここが私の故郷だ
泥鰌やフナを採り、山へ入ってキノコを探した故郷だ
千曲川まで歩いて行ったあの私の原風景

少し高台にあるお墓から佐久平の眺め
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ここには8軒の合同の墓があった。
これを作るのにお兄さんは会計をしたそうです。
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集落にはお堂があった・・・・思い出した
そしてもう一軒立ち寄ってくれた。
私たちより少し年上の女性。覚えていると懐かしがってくれた
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土産も持たず突然の来訪ですからそこそこ退き、小諸の蕎麦屋さんで美味しいそばを食べて
道の駅へ立ち寄り 戻ってきました。
落ち着いたら礼状と記念写真と何か送りたい


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車は8人乗りの甥の車で、私は帰りは横になっていたら知らないうちに家に着きました
今日も軽快です(^▽^)/

連れて行ってくれた兄夫婦に感謝したい。
長年の夢が叶った\(^o^)/
 

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