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介護鬱にならないために、介護鬱にさせないために [日々雑感]

しばらく重い話題等多くなると思います。ご容赦ください。
読みたくない方はスルーしてください。
 
先日、高速のパーキングエリアで痴呆の老人が保護され
その娘が保護者遺棄で逮捕されました。
この女性を弁護する気はありません。
やはりどこか一線を越えてしまったようです
 
老老介護が多くなり老人が老人に手をかける
そんな事件もあります。
他人ごとと思わず、どうしたら良いか考えたい
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ある日の車中ラジオで安藤和津さんが介護鬱であった事を知りました。
実の母親の面倒を自宅で見ていたようです。
あの聡明な和津さんがどうして?と思いましたが
お母様は認知症になられたとか
 
心から憎んだと言います。
そして彼女の性格も関係しているのでしょう
一人で背負い込む性格だったようです。

しかし外目にはわからない。介護の13年間の間にはテレビにも出ていました。
コメンテーター、エッセイストとして
話を聞いて、彼女の性格は自分と近いなあと感じました。
 
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私も介護鬱になりました。危なかった。義母の介護の時です。

義母との関係は、絶対的にあちらが強い
こちらはせいぜい言い訳する位で、歯が立たない
強すぎる人でした。結婚以来この関係は続きました。
最後は手術を含めて3か月の入院になりましたが、仕事をすべて整理して
私は万全の備えをし、病院へ通いました
勿論完全看護の病院ですが、家族は何時に来ても良い
何時間いても良い病院でした。
そして来ることを要求されるのはわかっていたからです。
 
9時から5時まで、あの生暖かく眠気を誘う病室に待機しました。
私の居場所は丸椅子しかありません(その後個室に移りました)
病室の他の方の世話をすると義母は面白くない。怒ります。でもしました。
ただいるだけでは体が持たない
まだ食べられていた時は、病院食はいやといい、私が買いものに行きました
リクエストがありました。お寿司が多かったかなあ
 
ある日、私は昼にラーメンを食べて帰りました。
そうしたら開口一番「臭い! 何食べたの!」と怒鳴ったのです
うっかりニンニクいれたのです。
その時初めて義母に対して怒りました。
その頃義母の排泄の世話などしていたからです。トイレも付っきりでした。
私が一度でも臭いとか嫌だとか言ったことがありますか!
そんなそぶりを見せましたか!
それなのに何でそういう事を言うのです・・・・・と
 
その時に初めて私に謝りました。「ごめんなさい」と うなだれて・・・・
 
家から病院まで歩いて20分くらい。大きな公園の傍を通ります
人通りは無い、暗い中で
〇〇ババア、死んじまえ~ 泣きながら叫びました
もう口に出さないとやって居られなかった。
家で話せば、嫌なら行かなきゃいいでしょ!と
実の親の病院へ一度も顔出さない人が言います
それが出来るくらいなら、しているよ
出来ないから苦しいんだよ
 
限界だと思い家政婦さんを頼みました。週に2回です。
母の性格を熟知している私は、尊厳をもって接してほしい
年寄りで病人だと気安くため口聞かないでと頼みました
しかし、3回来ただけで辞めてしまいました。私には無理ですと
 
ああ、もう私しかいない。私しか見てやる人はいない
絶望的になりましたがその夜に危篤になったのです
他を探す事も無くなりました。
 
こんな経験をしていますから、私は介護鬱に家族をさせたくない
その思いがとても強いです。
それぞれに生活がありますから、来てくれることに感謝し
こちらから頼む事はありません。
 
いまは病人も家族も在宅療養を望まれる方もいらっしゃるでしょう
そしてその支援も最近はかなりできてきているようです。
それぞれが自分にあったやり方を見つけるのが良いですね
 
私は最後はホスピスへ行きます。
ありがとう、さようなら!と言える関係で終わりたいのです。
それでなくても死後はやることが多い。その苦労を思うと申し訳ない
 
義母は共産党支持の人で、迫力ありました。応援演説もしていました。
区政から国政まで議員は挨拶にきました。
筋は通った人でした。
その頃は相容れなかったのに、今は私がこの社会とかかわって闘っています
実の母よりこの義母のほうが、忘れ得ぬ人です。
 
介護鬱になってはいけない。介護鬱にさせてはいけない
これは私にとって信念なのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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