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お正月の思い出 [日々雑感]

三が日くらい、それらしいことを書きたい
 
元旦は娘と息子と過ごして、今後の事を話ししたけれど、悲壮感はない。
ずっと話しているから確認作業みたいな事、笑う事も多かった。
二人には感謝したい

九州へ子供や夫と帰省しなかった娘がお正月料理を作ってくれたから
華やかに食卓になった。
今朝はお雑煮を頂いた。これは実家からの味、そして私の味だった
思わずホロリとしてしまった。
 
結婚前までのお正月を書きたい
それは暮れから始まる
大掃除は家の中にたくさんある神棚の掃除、そして神具の磨き
3mくらいの神棚があったのです。
障子張り、大変な作業だった。
 
そして暮れのお餅つき
朝早くから始めます。時間がかかりました
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今から60年くらい前だって東京で餅つきは少なかったでしょう
裏手の路地で、せいろでもち米を蒸し
そして石臼で餅をついた。のしもち、お供え餅、
最大の楽しみにはあんころ餅や納豆餅、大根餅、黄な粉餅です。
たくさんの量です。
 
多分、父が子供たちに思い出を作らせようと思ったのではないでしょうか
暮れの買い物は、築地かアメヨコ
品物により買い分けていたと思う。私はどこへも付いて行った。
 
少し高学年になっていた頃だと思うけれど、
子供たちも赤玉ポートワインを飲ませてくれた。一升ビンがありました。
美味しいと感じ、午後は寝てしまったっけ・・・未成年飲酒です(笑)
 
夕食はすき焼き
すき焼き鍋には5つに分かれたものを父が細工して作ってくれた
一人用の皿には肉と野菜と、豆腐その他が盛られ
ゆっくり食べられるはずが、仕切り板の下から肉を持って行かれるから
安心して食べられない。
牛肉は機械でスライスしたようにきれいに薄く切られている
父は器用な人でした。
肉は港があるから問屋がありたくさん買いました。
いま思うと、お正月って大変なイベントでしたね。お金もかかったでしょう
 
夜は花札大会
バカっ花に興じた。商品は確かお菓子類だけどかなりの差があるから
夢中になってやった。
後年、なぜ子供にやらせたのか聞いた事があるけれど
子供のうちにやっておけば、大人になってバクチはしなくなるからさ
という。
 
このあいだの「変さ値」ではないけれど、父はものすごく変さ値が高かったと思う
一人っ子で早くに父親を亡くしているからイベント好きなのかもしれない。
父との事は良い思い出ばかり残っている。
 
母はいつもお金が無かった事をいうが、貧しいと感じさせない楽しさがあった。
 
正月2日、父は福袋を買いにデパートを梯子していた
そして持ち帰った中身を広げて、これは誰に、これはあの人にと分けている
自分の為ではない。喜んでくれる人を考えて分けている時の事が思い出される
千葉の行商のおばさんにも、その中身はわけられた

父の亡くなる最期の年に、
買い物好きの父の為にあの頃では大金の5万円上げたけれど
とうとう使わなかったと言う。でもとても喜んでしたらしい
だって自分の為のものを買うのではない事、わかっていたからでした。
みんなが喜ぶものを買うのです。自分の為に高価なものは買いません。
 
私のお正月はここまでです。結婚後はむなしいお正月が続きます。
それでも、お雑煮や伊達巻を記憶で作って来てくれた娘
 
家族ってどこかつながっているなあと感じた2日間でした。
それはまた次の代まで受けつがれるかもしれない。きっと受け継がれるね
 
 
 

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