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餅は餅屋で買ったらカビているどころではなかった [発達障害]

ADHDは「吾輩は障害者である」を書いてから、
フェイスブックの反応はともかくとして 彼の勢いは止まらなかった。
少し間をおけばと言っていたが
今、ようやくやる気になったのだから その勢いを止めることはできないと思っていた。
ただし、健常者とADHDのはざまにいるマジョはアドバイスもしていた。
出来るだけ、理解者を増やすためには、内容吟味もあるからだ。

「障害に負けない」

 先天的に劣っているものをできるようにするより良いところを伸ばすということ
 
「 餅は餅屋で買わない方が美味かった」

  病気に関して、医者が理解してくれていると思っていたが、そうでもない。
 自分の方がこの障害に対してはわかっている事も多いのだと気がついた。
 良い方向に持って行くのは自分自身である


「世の中の人がみんなが焼肉屋のオヤジになれば良いのにな」

 理解者が増えることが、障害者の心の安定につながる
 そうでなければ、鬱になる確率がすごく高くなる

「笑いが一番」

 障害をネガティブに捉えず、笑いに変えるくらいの勢いがなければ
 障害という波に飲み込まれてしまう。命の危険さえある。
 ADHD漫才など掲載

内容もかなりの分量である。
題名を見てわかるとおり、情に訴えているわけでもなく
当事者だからこそ書けるエピソードなども面白おかしく書いていた。
いわば ポジティブに障害を考えて、これからの生き方を書いていたのだ。

昨夜ADHDは久しぶりに馴染みの酒場へ出かけた。
夜中にぐっすり眠っているマジョは彼に起こされた。
あのさ~、こういう事があってさ~と
眠くて、ああまたかと覚悟して聞いていたが
話の真意がわかると、マジョはそれはおかしいと怒りが込み上げてきた。
どうも知り合いと4時間くらい話をしたらしい。
徹底的にADHDをつぶしにかかった意見だったようだ。
その時は、勢いに負けてうまく言えなかったらしいが、詰問されて泣きたくなったようだが
帰り道色々と考えてそれらの矛盾をマジョに言った。その通りだと思った。
いつかのガチンコ対決ではないが、私とその人と話をさせてよ!とつい言ってしまった。
一般の方ならまだ良い。福祉(今は介護だが、以前は発達障害にかかわっていた)
の仕事をしている人でさえ そんな感覚では救いようがないではないか
でも、もしかしたら実際はそれが今の現場の実情かもしれない
すべての方に理解されるのは至難だし、そういう反応も織り込み済みで本人は書いている。
しかし、福祉関係者がいう事ではないと思うのだ。

たとえば
障害者の現場も知らないで偉そうに言うなという言い方らしい。
君は三級だし、世の中にはそれより上の級の人もいる
こうして酒を飲んでいるし、多動性も見えないし、不注意性も見えない
世の中にはこうして酒を飲む事も出来ない人がいる。
彼らの為に
何か資格を取ろうとか努力しているのですか?そのくらいの覚悟があるのか?と問う
ADHDはそんな努力はしていないし、覚悟もない。
自分自身がどうして?どうして?という疑心案偽の中で
人の為に時間は使えなかった。
ただ、家には1級の叔父がいて、友達も発達障害の子がいていつも面倒見ていた。
現場とは彼の人生そのものだった。
だから障害者に優しい彼が 障害者だったとは私も驚いた。

福祉関係の彼は、今の現場では売り上げを上げて、かなり上の立場らしい。
しかし、それが何ぼのもの?
ADHDは障害のはっきりとわかるものは見えにくいが、障害とわかった人間に
それも、やる気を見せて明るく書いている人間に対して
もっと燃えるように薪をくべるのではなく、ようやく燃え始めた炎に水をかけるような言い方だ

彼は将来目が見えなくなるかもしれないと医者に言われたそうだ。
だから自分は片腕を切り落とされても良いぐらいの覚悟はあるという。
しかし、まだ目は見えているし、見えなくなる可能性があるかも?というだけで
今も健常者である。そして生活に支障はきたしていないし
むしろ成功者としてその生活を送っている。
だから、実際には目が見えない人の気持ちはわからないのではないだろうか?
そうでなければ、執拗なまでにADHDをたたくはずがないと思う

相手の彼の深層心理の中には
障害者が偉そうに・・・・という心理があるように思える
ADHDが難しいのはある種の人たちより上の部分があるからこそ
たたかれる場合も出てくる。

しおらしくしていれば、理解されたのかもしれないが、障害を取り巻く世界を変えたいというのが彼の持論である
結果が出るまでは、本当に大変だが、前よりいくらか冷静に受け取るられるようになったと思う。
残念ながら これがまだまだ一般的な世間のいうところなんだろうか?

昨夜ADHDはめげたが、今も心に傷は少し残っているが、彼は僕にとっての「焼肉屋おじさん」は
お母さんだよと言ってくれた。
今まではお母さんがいてくれたから、何とか乗り切れていたけれど
今回はお母さんだけでは、波に乗りこまれていたと思う。
でも、僕にとって社長という新しい「焼肉屋のおじさん」が、そこで働く社長の意思に賛同している
人たちがいたから波に飲み込まれなかったんだよと 言う

波に飲み込まれるというのは 鬱になり、生きているのが嫌になるという事なのだから
福祉関係者がそのような気持ちにさせるのはどうかと思う。
専門の資格があるからすべてではない。
医者に「主治医の意見書」を書かれた事を読むとわかる。2014.2/14に書いてあります
その道の専門家とは、その道の勉強をして得点が取れた人もいる。
だからと言って、わかっているかというとそういう事でも無い。
もちろん、親として35年間息子を障害だと思わなかった自分自身への反省からも言えることだ。
しかし、この障害がわかってからは、優れたところは認め、褒めている
だからこそ、この障害を認知してもらう事が大切だと思ってここにカテゴリーを入れた。

私もこの世界をADHDと共に変えていきたいと思っている。それがこれからの課題である。


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