母がもらった恋文 [日々雑感]
今日は秩父観音霊場の札所関係を母の元に持って行きました。
今から11年前に書いたものを思い出したからです。
あれから母はもっと年をとりましたが、気持ちは乙女ですね。
以下、私が昔HPで書いたものです。
母がもらった恋文とは
なんと意味心なタイトルでしょう・・・・
昨年秋から母とは2回旅行しています。
それ以前から、最近年をとったなあと感じていて、
ちょっと辛いものがありました。
母は私にとって若いお母さん、輝いているお母さんであったはずなのに
今は、少し前かがみになり、足元が危なっかしい。
私もいつか、娘から年をとったなあ・・・・・と心配される時が来るのでしょうか。
今回、九州へ旅したときにひょんなことから、始めてこの話を聞きました。
湯布院から大分へ戻る車中だったと思います。
同窓会はあまり行かないと母は言います。皆は来るように言うのだけれど・・・・
行くと必ずこの話が出るのよ、と
女学校時代の事です。ある日母は職員室へ呼び出されたそうです。
お前に学校へ手紙がきているけれど、この者を知っているかと先生に聞かれたそうです。
しかし、母はまったく知らないし、その人とは会った事も無いそうです。
どんなに聞かれても知らないものは知らない。そう答えるしかなかったようです。
先生は、わかった!という事でその場はそれで済んだようですが、家にも報告があったとか
手紙の内容は、戦地に赴く若い兵隊さんが母を見初めて、
母の通学する女学校へ手紙を出したそうです。
内容は詳しくは聞きませんでしたが、
母を観音様のようだと書いていて
これで戦地へ行けるとあったそうです。
若い頃の写真を見ると、確かにふっくらしていて、観音様に似ているかもしれません。
美智子皇后の成婚時に似ているなあと思った事があります。
いいねえ~お母さん!そんな思い出があって。
娘の私はうらやましいとしか言いようがありません。私にはそんな思い出はありませんから
実は、私は母には似ていないのです。
というより、性格その他すべてが似ていないのです。私は父親似ですから。
母はおしゃれなのに、私はジーパンが一番しっくりきます。
実家へ行く時もいつもラフな格好ですから、言われた事がありました。
「洋服買うお金がないの?買ってあげようか?」ですって
私も決めるときは決めますが、Tシャツ・ジーパン党は変りそうもありません。
亡くなった父も母の為に着物や洋服を買ってあげるのを喜びとしていました。
75歳になった母が、恥ずかしそうに・・・しかしちょっと得意げに?
その話をしたときに、なんだか嬉しくなってしまいました。
母に宛てた恋文を寄せた若い兵隊さんは、今はどこにいるのでしょうね。
あなたの観音様は、しっかりおばあさんになっていますよ・・・・
思い出だけは記憶の中に留めながら
私は恋文もチョコレートももらったことがないので、異次元の話。
いや実は私が異次元ですが。。。
国に国の為に死ね命令は、、、、男子
どう思うか?
女子、従軍慰安婦、、、死ぬわけではない。
mayaoさんにゲンコツもらいそうですが(冷や水失礼!)
by たぬ吉 (2014-11-08 20:20)
たぬ吉様
>いや実は私が異次元ですが。。。
笑えます! おかしい(*^。^*)
でも、たぬ吉さんは、私にはとても面白いです。そして愛すべき弟分?
ゲンコツはしませんが、
そうね、どついたるか~~
嘘です。ホントは上品で優しいマジョですからネ
コメントありがとう!
by majyo (2014-11-08 20:28)
お母さんの品の良さがしのばれます。戦地に赴く兵隊さんの心置きなく行けるという恋文、なんかロマンティックね。あのころはこういうのが多かったんだろうか。
by さきしなのてるりん (2014-11-08 20:53)
さきしなのてるりん様
中学の時に鉄の防火扉を蹴って開けたら先生がいて
お前はどうしてお母さんに似ていないんだ!と怒られたことがあります。
恋文、ロマンテイツクかもしれませんが
こんなことはあってはならないですね。あの兵隊さん
もしかしたら帰れなかったかもしれません・・・・・
by majyo (2014-11-08 21:00)
こんにちは。
何と切ない恋文。当時の兵隊さんは、皆何かしら心残りがあるまま戦場に赴いたのでしょう。
どうか、誰もこんなつらい思い出を残さない世の中になりますように。
by ポレンタスキー (2014-11-08 21:24)
ポレンタルスキー様
>どうか、誰もこんなつらい思い出を残さない世の中になりますように。
あえて古い書き物をアップしたのは
戦争とはこのようなものだと知っていただきたい事もありました。
母自慢というわけでもないのです。
今日は母と良い時間を過ごせました。87歳です
by majyo (2014-11-08 21:39)
うちの母も昭和2年生まれの87歳
お母さんのような、そういうお話は
他所でも多分あったんでしょうねぇ。
母が「戦死した兄は女も知らずに
亡くなってしまった・・・」ってポロッと
言ったことがありましたよ。
by gonntan (2014-11-08 22:25)
gonntan様
うちの母と同じ年ですね。あの頃の方は男は兵隊、
そして女も大変でした。
叔父様も、亡くなったのですか? 母も男兄弟2人戦死です。
ある意味、不運な時代ですね。
この頃色々と聞いています。多分長女には伝えたいという思いがあるのでしょう。 gonntan様のお母様、お元気で過ごされますように
by majyo (2014-11-09 06:47)
切ないですね。
by ねじまき鳥 (2014-11-09 11:03)
ねじまき鳥様
当たり前に手紙を渡せる時代ではなかったのです。
戦時中は男女が歩くこともままならなかったと思います。
コメントありがとうございます。
by majyo (2014-11-09 15:04)