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母の戦争体験① 兄からの手紙 [政治・社会]

毎回書きませんが、時間を見つけて天気の良い日は一人ゲリラで
ビラ配りします。
そんな時に参考になるのは、戦争体験者のお話で、主に女性ですが
貴重なお話を聞くことがあります。時間も長くなります。

私はここ数年、母の生きてきた道を長女としてしっかり記憶しておく
という事を心がけていますが
空襲にあったのかどうかが良くわかっていなかったので
それを聞きに行きました。

母は茨城県の下館という町で8人兄弟の7番目です。
女学校へ行きたかったけれど、無理だと思っていたようですが
長兄が、福島県の四ツ倉というところに住み、商売をしていました
年子の子供たちが4人もいたので、子守して家の手伝いをしてくれるなら
と磐城の女学校へ行かせてもらったのです。

ここにあの頃の女学生という文があります
東北の旅の途中で立ち寄ったのです。

http://blog.so-net.ne.jp/majyo1948/2014-06-04

長兄は子供が4人もいるし、年もかなり上なのに召集されました。
四ツ倉駅前で燃料関係の店を任されてやっていました。
海まで近かったと言います。地図を見ればわかります。
空襲はなく、また食糧不足もそんなに感じなかったようで
比較的、落ち着いた戦争体験かもしれません。

福島第一原発の南にあります

56781.jpg

長兄が戦死したのは知っていますが どこで?とは知りませんでした
千島の海域で輸送船が攻撃を受け
沈む時に 400mほど前に島が見えたので
二人だけ飛び込んで島を目指したそうです。
しかし、4月の千島の海は冷たい・・・・
帰らぬ人となりました。
四人の子供と妻の為、なんとしても泳ぎ切って命を繋げたかったのだと思います

船に残り助かった方から家族への巻紙の手紙がありました。
事情説明の手紙だという事です。
私には判読不明なので 実家に置いてきました

何年か前に、長兄の娘さんから、手紙その他が送られてきていて
それを知っていたので、読んだことがあるので
もう一度、改めて読みたいと今回は出かけたのです。
その頃は、再びこのようなきな臭い時代に逆行するとは思わなかったのです
今、手紙の事を思い出し
戦時中の人たちは どのように暮らしていたのか
もう一度、確かめたかったのです。

母は長兄が生きていたら・・・・といつも言います
優秀だったのだよと
心から信頼していたようです。いつも長兄の話をするときは涙ぐみます

手紙のコピーがありますから ご覧ください
軍事郵便とあり 検閲済みとあります。
本当に書きたいことは書けなかった時代です。

1429487880248.jpg


広島から、大阪から、北海道から 妻の〇〇宛です
このころ、母の母親は亡くなったようです(私には祖母)
手紙ではその心配もしていました
 

不肖が九死に一生を得てめでたく凱旋できし暁には報告方々墓参したく存じます

4通のはがき、便箋の手紙のコピーを預かってきました。

結局子供8人のうち、3人の男兄弟が戦争で亡くなりました。

こんな 時代も あったよと
 
 いつか 話せる日が くるわ
 
 あんな 時代も あったねと

 きっと 笑って 話せるわ

これは中島みゆきの時代の歌詞の一部ですが

今は 笑えるどころではありません
戦後70年というのは、戦争体験していない人が多くなるサイクルに入ろうとしているのです

明日は、母から長兄にあてた手紙をご紹介します


母がもらった恋文 もお時間のある方はどうぞ!
http://blog.so-net.ne.jp/majyo1948/2014-11-08


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prin4795

そのエネルギーに
脱帽です。
by prin4795 (2015-04-20 18:11) 

majyo

prin4795 様

母の話は録音してあるのですが、聞く暇がありません。
幼少の頃養女にも行きましたが 相手方に子供ができ
また、あまり幸せでなかったようで、家に戻りました。
小学校の1年の時です。昨日名前の違う通信簿を見ました。
子供の中で私しか知らないことが多いので、
責任感じています。
エネルギーは、今こそこの事実をお知らせして
戦争とは? 考えて欲しいからですよ。
by majyo (2015-04-20 20:15) 

獏

戦争は様々な場所でこうした話をたくさん作ってしまうのですね
獏の義理の父は兄弟がほとんど広島の原爆で死んでしまって
毎年慰霊祭に出かけます。。。
しかしいつも真夏の炎天下 もう今年からは無理かもです。。。

by 獏 (2015-04-20 20:24) 

majyo

獏 様

私がいつも思う事は、津波の被害でも戦争でも
一人が死ぬという事は、必ずあるドラマがあります。
だから何百万のドラマがあるのです。
義理のお父様は広島の原爆でご兄弟を亡くされたのですか・・・・
言葉もありません。だからこそ 武器展示は見たくないと
仰ったのですね。
8月の慰霊祭は我々でも厳しい。
聞いていらっしゃるかと思いますが、ご存命のうちに
色々とお話し伺ってください。
コメントありがとうございます
by majyo (2015-04-20 20:39) 

mayu

戦争体験もだんだん風化していっています。語ってくれる人は貴重な存在です。これまで何人かの方たちから断片的に聞いたことはあります。
by mayu (2015-04-20 21:11) 

ポレンタスキー

こんにちは。

うちの父は開戦の頃、母は終戦間近生まれ。
幸いなことに両家の誰も徴兵されず、戦死した者もいませんでしたが、父の家は市街地にあったため焼け出されたと聞いています。
両親とも戦争の記憶はほとんどなく、もう私の世代になると戦争体験について話を聞く機会もないでしょう。

私は、これからは戦争よりテロの時代になると思っています。軍隊を持っていてもテロは防げない、いつ誰が標的になるか分からない、未知の恐ろしさを感じています。

by ポレンタスキー (2015-04-20 21:19) 

majyo

mayu 様

戦争体験が風化しているからこそ、集団的自衛権賛成という
意見も出てくるのです。歴史も知らないと 馬鹿にされたくない
そのような風潮にもなります。
先ずはわかっていただく事が大事であり、大変ですね
mayuさんも機会がありましたら 聞いてください。
もちろん聞いた方からの話でも良いわけです
by majyo (2015-04-20 21:33) 

アマヤ

自分が生きているうちに こんな時代が来るとは思いませんでした。戦争を体験した女性が言います。「あのころ(年齢から推測して日米開戦のころ)もこうだった。みんなノンキに『まだ大丈夫』って」「もう戦争の匂いがしてるよ」と。別の高齢女性も、安倍首相の話題で勢い込んで「あの人戦争するよ!」と断言していました。戦争体験者の女性はとりわけ危機感があるようです。でも年齢からいって、デモとか抗議とか多分無理。娘世代のわたしたちが頑張らねば。
by アマヤ (2015-04-20 21:35) 

majyo

ポレンタスキー 様

ご両親は私より少し上の世代ですね。お父様がかろうじて
炎の中を逃げまわったというところでしょうか
これからは、ますます聞く機会は少なくなるでしょう

>軍隊を持っていてもテロは防げない、
私もどのように武器があっても防げないのがテロだと思いますが
そのテロを生む土壌こそ 作ってはならないと考えます。
そして核を使ったテロもあるやもしれません
また、狭い国内に54基もの原発を抱えた日本は
絶対に、他国と戦う事はできません。
これから5月に入り、安保法制でどんどん決まります。
切れ目のない安全と言いながら、
切れ目のない不安と同義語だと思いますね
by majyo (2015-04-20 21:43) 

majyo

アマヤ 様

中島京子さんの本に「小さなおうち」というのがありますが
まさに始まりの頃は誰もが危機感を持たず
それなりに楽しく生活していましたが、あれよあれよです

戦争体験者のお話しは貴重ですね。
自分は活動的しないけれど 頑張って!と言われることは
多いです。
むなしくなる時もありますが
戦争体験者からの激励を受けると、やらねば!と思いますよ
連日の抗議行動 頭が下がります
by majyo (2015-04-20 21:49) 

TM

私の父は虚弱であったため徴兵は免れました、東京大空襲では自宅から数100mの所まで焼野原になったとよく聞かせてくれました。
両親から聞いた戦争体験話の内容、そして地元の郷土資料館に展示されています「東京大空襲の体験者が書いた絵」はまさに「はだしのゲン」そのものの地獄絵で、戦死された方、空襲で犠牲になった多くの方々を思うと胸が詰まる思いです。

「戦争を知らない子供たち」のまま一生を終えられると思っていましたのに、とんでもない状況になって来ました。
民意にまったく耳を貸さず「粛々」と強行するのが政府であるならば、
翁長知事が語っておられるように、直に米国と交渉を持った方がいいですね。
米軍が沖縄駐留は日本の安全も守るためでないと名言しているのに、
虎の威を借りていつまでも駐留を願い、辺野古案を言い出したのも日本政府の方です。

マスメディアをアンダーコントロールしてしまい、国民を洗脳してしまっている現状を考えると、他力本願ながら海外のメディアに訴えるのも有効な手段ではないかと思います。
外人記者クラブとの会見等では、外国人ジャーナリストからかなりまっとうな質問が堂々とされ、政権には手痛いボディブローになっているように感じます。

海外では何故このような右傾した政権が高支持率を保っているのか、とても不思議に感じています。
そうではなく、国民の大半は戦争を否定していて I am not Abeであること、高支持率はマスメディアによって支えられていることを発信すべきだと思います。

日本のマスメディア、その情報に依存する人たちは不当にジャックされていることを世界の世論に訴えることは重要かと考えます。
by TM (2015-04-21 01:30) 

majyo

TM 様

貴重なお話しありがとうございました。
東京大空襲では 人が紅蓮の炎の中、
空に飛んだという話を読みました。
隅田川は炎を逃れる人々が最後に行きつき川を埋めたと・・・・

そちらにある資料館ですが 多くの方が行かれると良いですね
スカイツリーに行かれた方が立ち寄る場所であれば良いなあと
思います。
共に「戦争を知らない世代」ですが、
おっしゃる通りこのまま一生いくとばかり思っていました。
しかし、兵を持ち武器を持っていると使いたくなるのか?
現政権はあまりにあからさまに、憲法を無視し、曲解し
戦う国造りを推し進めています。
動けて、なおかつ危機感を持つ我々世代が頑張らねばなりません。
そして、少しでも考えていただける人達を増やし
何としても、この流れをストップしたいと思っています。

全ての過ちは 戦後続いたアメリカとの関係です。
本来ならば反米デモにならなければならないのですが
今は、足元からやらねばなりません

マスメディア以降に書かれていることは
全て同意する事なので
ここでは 拝聴のみといたします。

ありがとうございました


by majyo (2015-04-21 07:39) 

ちょんまげ侍金四郎

私の母親も女学校行きたかったと言っておりました。
早くに母親を亡くして、成績が良いにもかかわらず弟達の面倒や田畑の手伝いをしなくてはならなかった、そういう時代でした。
でも高等科だけでも行かせてもらったからと言っておりましたっけ。。。なんか思い出してしまいました。
ちなみに母も茨城出身です。
結城郡八千代町という本当の田舎町ですが(笑)
by ちょんまげ侍金四郎 (2015-04-21 08:51) 

momotaro

しっとり落ち着いた良いお話でした。
お母様がご存命であるところがいいですね。
そのお母様は3人のご兄弟を亡くされている!
戦争を恨まないでなんとしますかね。
「愚行です、二度とやってはいけません」の思いを新たにしましょう!
by momotaro (2015-04-21 11:50) 

majyo

ちょんまげ侍金四郎さま

先ほど畑から帰りました。今日のお花は高菜のお花です(^_-)-☆

あの時代は 女学校へ行くという事は大変だったのですね。
私は高校くらいに考えていたのですが・・・・(^。^)\バシッ
ましてや、家の手伝いや下の兄弟の世話をし それどころではない時代
だったのでしょう。
お話し伺っていると、先ずは家族が一番、自分は最後という方でしたね。

結城ですが、紬で有名です。その南に位置し 下妻の西に在りますね。
下妻とは母から良く出てくる地名なんです。
母親同士の茨城つながりで 今後ともよろしく!

by majyo (2015-04-21 13:24) 

majyo

momotaro 様

この手紙を母から見せてもらったのは 多分3.4年前だと思います。
その時は、へぇー 若いのにしっかりした手紙を書いたものだと
ビックリしました。
それを思い出し、戦争の何たるかを お知らせしたくなり
無沙汰も兼ねて、行きましたが
まあ、慌ただしい事、 母には悪いことしました。
帰りに、街宣に寄ったからです。

その日のうちにアップという事もあり、お茶も失礼して帰りました
思いを同じくする皆さんで頑張りましょう!
by majyo (2015-04-21 13:24) 

風船かずら

majyoさんのお母様は下館の生まれですか。私も近くの生まれです。片田舎で、それほど物心もつかない年頃で戦争の直接の記憶はあまりありませんが、同じ年代の友人知人の多くが戦争体験をしています。自分などは殺して生きなければならなかったいきぐるしい時代でした。曲がりなりにも民主主義の時代になって自分の頭で考えることができる時代になったのですが、本当に自分の頭で考えることができているのかというとどうでしょう。勇気もいる時代ですね。
by 風船かずら (2015-04-21 14:18) 

風船かずら

追伸、戦争は人間の愚行の何物でもないと思います。殺し合いなのですから。そして何もかも奪いゼロにしてしまいかねません。でも戦争をいとわない人、戦争で得をする人もいるのかもしれません。憎悪と戦争は経済的条件の原因が主たるものではないということに気付いている人はすくない、こんなに条件付けられ、訓練され、去勢され、愛国心といったような理由で戦って死ぬようにさせられないなら戦争など起こることはありえないだろうと言っているのはA.S.二イルというイギリスの教育者ですが、かつっての戦争もそんな戦争だったのかもしれないと思います。
by 風船かずら (2015-04-21 14:53) 

majyo

風船かずら様

同じく茨城でしたか・・・・・それは嬉しい事です。
同じ地に生まれるとわかるものもあるからですが
ご自身は記憶に無いという事ですが、
お友達が戦争体験をしているという事。それを捉え
いつも風船かずらさんは、一生懸命考える方だなあと思っていました。
幸いにも、下館も 福島の四ッ倉も戦災にはあいませんでしたが
あの時代は自分を殺し生きなければなりません。
今夜アップする予定の母の手紙は
こういう手紙しか書けなかった時代というものを知ってほしいので出します。

戦いは愚かです。
どちらにも言い分はあり、始めた以上終わる事が難しい
先の大戦がそれを物語っています。
戦況不利にもかかわらず、大本営の発表は勇ましく
国民は負けるとは思わなかったようですね。

>でも戦争をいとわない人、戦争で得をする人もいるのかもしれません
はい、これはいると思います。そういう方は戦地には行きません。

>A.S.二イルというイギリスの教育者ですが
愛国とは押し付けるものではなく、育つものです
お仕着せの愛国により、物を考えさせられることを遮断されたのちは
あの忌まわしい戦前が蘇ってしまいます。

お互いに、発信していきたいですね。ブログの世界でも
コメントありがとうございました<(_ _)>
by majyo (2015-04-21 15:59) 

ファルコ84

亡き両親から子供ながらに
戦争体験を聞いたことがありました
東京空襲にあい
暑い中を逃げ延びたと
戦時中も食べる物が乏しく
顔が黄色くなるほどかぼちゃを食べたとか
当事者たちでないと分らない
厳しく恐ろしい体験です
平和って有り難いですね。

by ファルコ84 (2015-04-22 00:00) 

majyo

ファルコ84 様

お返事遅くなりごめんなさい
そうですか、ご両親から伺ったことがあるのですね。
私は人間関係は良く聞いていましたが
戦争については あまりありませんでした。
東京空襲を体験されたのは本当に怖かったと思います。
焼夷弾自体が、非人間的ですね。一発で四方を火の海にします。
かぼちゃは、どこでもできます。
種を蒔いておけば、自然にできるのです。
多分、今のかぼちゃとは違うものですが

今、怯えて寝ない事を考えれば、昔の方は
本当に苦労したのだと思います
by majyo (2015-04-24 09:28) 

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