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母の戦争体験② 兄への手紙 [政治・社会]

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広島市暁2954部隊     松本隊九    〇〇 様


 

不束(ふつつか)なる筆にてお許しくださませ

木枯らしの吹く時候となりました。野も山も紅葉し

本当に秋も深まり、朝夕の寒さは初冬の感じが致します

其の後 兄上様にもお変わりなく、軍務にお励みの事と存じます。

家でも この寒さに風邪一つひかず 皆元気に 兄上様の留守を守って居りますから

他事ながら御休神下さいませ

孝冶も一生懸命勉強しています。(孝冶、キヨ子、ミチ子、ケイ子は兄の子供たちです)

今度音楽会へ出るので毎日練習してきます。

キヨ子も元気に幼稚園に通って小鳥のように一日中跳ね回っています

ケイ子・ミチ子は仲良く遊んでいます。

近所の人は丁度双子の様だ等と笑っています。

ケイ子もミチ子も汽車を見れば手を挙げて「万歳」しています

私も今度英語科と随意科に分かれ、私は英語科に入りました。


一学期は母の葬儀の為に休みましたが、

平均点数が90点になり、優等生の組に入る事が出来ました。

順位は九番でした。

二月期も一生懸命にやろうと思っています。

今度、満州ベアリングが一株又は五株が無くなって十株以上になるのだそうです

その為に一株の人は売ってしまうか 

もしくは十株に買い込むかするのだそうですが


兄上様には 如何なさいますか

手紙を見ましたら至急お知らせくださいませ

店も大吉さんが雨引に行くのでその後任は泉にいた佐藤さんが

ひと月くらい前から来ています

今日も虚空には敵影もなく私たちが無事に生活できるのは、

皇軍勇士の ご奮闘によるものでしょうと 深く感謝しています。

本当に内地は微塵の動きも無く 聖戦目的の達成に一億総進軍しています。

私たちも銃後の女学生として勤労奉仕を行ったり

出征家族の農事のお手伝いをして

兵隊さんの万分の一をもお国にご奉公したいと思います。

朝兄ちゃんもこの間 無時帰還いたしました。

内地に帰れば また随分気候も違う事でしょうから

くれぐれもお体を大切に

武運長久を 遠き故郷より お祈りいたします

                     乱筆にて  かしこ


 十一月十二日


 兄上様             〇〇拝

終戦は8月でしたが、その年の4月に亡くなったそうです

朝兄ちゃんも 亡くなりました。子供と妻を残して・・・・

一つ違いの独身の兄も亡くなりました



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sarusan

そら豆のご返事です、茎先端部の芽欠きは芯止め友言いますが、
行います。
アブラムシ、先端についてますから振り落とすか、私キンチョールを掛けてますよ。
沢山付きますと成長が無くなりますので早目に退治してね、周囲にいる蟻も退治の事。
by sarusan (2015-04-21 21:16) 

mayu

国家というのは暴力団以上に暴力的に、人の人生を搾取するものだと思います。
by mayu (2015-04-21 21:36) 

majyo

sarusan 様

お返事ありがとうございます。今日畑へ行きましたら
ぐんぐん伸びています。虫はいませんでした。
どこが、あのソラマメになるのかさっぱりわかりませんが
楽しみに手入れします。
蟻は見ないなあ・・・
ブログ頼りのソラマメでした。感謝!
by majyo (2015-04-21 21:53) 

majyo

mayu 様

ナント 明快な言葉。
まさに、その通りですね。
お国の為にと 4人も子供がいる人間を招集し
結果、戦死になりました。
親分の為に 鉄砲玉となるやくざの世界と似ていますね
まさに人生を搾取したのです

by majyo (2015-04-21 21:56) 

momotaro

きょうだいを亡くすのは、結構辛いんですよね、
私も53の時に3歳上の姉を亡くして(病気でですが)当惑しました。
親は先に死ぬものと覚悟しているけれども、きょうだいは
ともに生きていくものと思っていますからね。
それを3人も亡くされた、奪われたのですからね、
お気持ちは察するに余りあります。

重苦しい時代で、避けなければいけないと思うのが普通だと
思いますが、この重苦しさを好む人たちがいるんですよね。
冗談じゃないですよ。好まない人たちを巻き込むようなことは
絶対にすべきではないし、させないようにしなければいけません。
と、改めて、強く思いました!
by momotaro (2015-04-21 22:32) 

ポレンタスキー

こんにちは。
お母様が女学生の頃のお手紙でしょう、なんと端正なお文。
家のこと、学校のこと、株のこと、そして書かざるを得なかった日本軍への感謝。
お兄様方の死はさぞ悲しく悔しかったことでしょうが、それを表に出せない時代。
日々自分の思うところを自由に書ける私たちは幸せですね。
by ポレンタスキー (2015-04-21 22:34) 

majyo

momotarou様

お姉様をなくされたのですか・・・・・それは当惑します。
兄弟は共に生きていくもの
これも良くわかります。私はまだ5人が健在ですが
いずれ欠ける兄弟が出てくるかもしれません
親よりも先に わかりません

17歳くらいで3人も兄弟を亡くしたら やはり堪えるし
引きずりますね。
朝兄ちゃんの子供に会いたいというのです。
早くに別れてしまっています。里に帰ったのでしょう
お礼を言いたいそうです。苦境に陥った時に助けてもらったそうです
面影をみたいのかもしれません

重苦しさを好む人たちですが
先ほどTwitterで知った事ですが
船田元さんが 「理屈で言えば徴兵制の可能性はある」と言ったらしい
いつの時代もそうですね。平気で人を戦地へ行かせる
怒りましょう! (ー_ー)!!



by majyo (2015-04-21 23:10) 

majyo

ポレンタスキー 様

私も、この手紙を何年か前に読んだ時は驚きました。
多分 忙しい兄嫁に代わって
仕事のこと、また子供たちの事など伝え
そして、あの頃では当たり前なのかもしれませんが
お国にご奉公するという言葉などを交え
情感もあり、びっくりしました。
しかし、検閲やら何やらあれば 女々しい事も書けません
本当に不幸な時代だったと思います。
ミチ子やケイ子が汽車を見て「万歳」するのは
出征兵士の見送りを見ていたからでしょう

お互いに許される範囲で 思った事を書きましょうね
by majyo (2015-04-21 23:16) 

ファルコ84

このようなお手紙が残っているのも
貴重な事です。
文面も静かで
家族兄弟の様子に細かく気付かれ
戦中の様子が目に浮かぶようです。
読み終えたら
涙がこぼれそうになりました。
まさに、戦争中心の時世だったんですね。

戦争が無い世の中にと思いますが
地球上では戦争や争いが絶えない
人類はなんと愚かなんでしょう。
by ファルコ84 (2015-04-22 00:15) 

旅爺さん

今となっては悲しい想い出ですが、
この様な事が2度と起こらない事を祈ります。
by 旅爺さん (2015-04-22 05:34) 

majyo

ファルコ84 様

>このようなお手紙が残っているのも貴重な事です。

子供4人を残されて、必死で暮らしていたにも関わらず
叔母が大事に取っておいてくれたことに感謝です。
それらをコピーして母へ渡してくれた従妹にも感謝です。
そして、何気なく読んだのですが、今 こうした時代になり
あの手紙の事を思い出して良かったです。
これは、兄弟にもメールで送ろうと思っています。

いまや、イケイケの考え方が主流となり
これからは自衛隊員を送る事も出てきますが
同じことですね。
お国の為に頑張って下さいと家族は言うのでしょうか?
読まれた方が、少しでも考えて頂ければと願います。

まさにこれからやろうとしていることは愚挙ですが、
彼等は聖戦とまでは言いませんが
積極的平和主義などと耳触りの良い言葉を使います。
まやかしにしか 思えません

by majyo (2015-04-22 07:42) 

majyo

旅爺さん 様

これから国会では、安保法制の審議に入り
数では圧倒的多数の自公が次々と法案を
決めていくでしょう。
投票率が低い中で、多数の議席を取った人たちが
今まで 累々と守ってきたものを壊そうとしています。

戦争を知らない世代ではありますが、ストッフの為に
出来ることをしなければなりません。
記憶の中に、戦火を覚えていらっしゃる旅爺さんも
どうぞ、応援してください<(_ _)>
by majyo (2015-04-22 07:48) 

コッホ

当時のことを思い起こさせる貴重なお手紙ですね。
銃後の人たちは、
出征兵士に心配かけまいと、気を遣ったつもりでも、
ひょっとしたらそれが、兵士にプレッシャーを与えた?
ということも、あったのでしょうか?
とはいえ、
「銃後はもう大変です。メチャクチャです。
そんな戦争、とっととやめて、
早く帰っていらしたら?」
とは、書けなかったでしょうが・・・。

by コッホ (2015-04-22 09:54) 

majyo

コッホ 様

娘の私が言うのもなんですが、あれ以上の事は書けないでしょう
検閲がありますからね。
しかし、ある意味では田舎で暮らしていて
本当にそう思ったのかもしれません。教育ですね。

出征兵士の農事のお手伝いとありますが
死ぬほど嫌だったみたい。これがマジョと違うところ(笑)
畑をやるくらいなら、食べなくても良いと言っていました。
茨城とはいえ、商売の家だったからです。

こちらは、やったぁ~と満足しながら 畑から帰ってきました

by majyo (2015-04-22 12:40) 

ちょんまげ侍金四郎

母の田舎の伯母のご主人も戦死されて、そのため今度は嫁ぎ先のその弟さんと結婚させられそうになり、子供を連れて逃げ帰ってきたそうです。
そして早くに母を亡くした母のために、母親代わりとなり良くしてくれたそうです。

そして私が小学生の頃、夏休みになると田舎に行くのですが、その山のおばさん(名前ではなく、地名とか住んでいる場所の特徴とかそういう呼び方をよくしてました)は体は小さいのですが、百姓で鍛えられたしっかりした足取りで近寄ってきてくれて、しわくちゃな顔をほころばせ「よくきたっぺな~」と採れたてのスイカを切ってくれたり、500円札をそっと渡してくれたりしました。

あの笑顔は忘れません。

そうそう女房殿が最初の子を流産してしまって、負けず嫌いの夫婦はありとあらゆる場所へ行き、この次こそはとお願いしに行った場所の一つに山のおばさんのお墓もありました。

きっと一肌脱いでくれたんだと思います。

戦争という馬鹿げた殺し合いで、どれだけの人に悲しみが降りかかったのか忘れてしまったんでしょうか。
また、たくさんの血が流れないと、戦争が愚かな行為だと思いだせないんですかね。



by ちょんまげ侍金四郎 (2015-04-22 16:23) 

majyo

ちょんまげ侍金四郎  様

語り継ぐ、貴重なお話しありがとうございました。
あの時代に寡婦になると 弟と一緒にさせるという事もよく
あったらしいですね。
本人が望めば、それもまた良いのですが
家の都合では それではお母様の叔母様、嫌でしょう

お母様の母親代わりという事は 金四郎さんに取ってはおばあちゃん
孫が来たような気持ちで、お小遣い渡したのでしょう。
お墓参りをするというのは、もう本当のお婆様です。

戦争に於ける死には、幾多のドラマがあり それが一生続きます
母の兄のお嫁さんですが、とても優しい人で
亡くなった時は、私も葬儀へ行きました。
ある意味では、祖母が早くに亡くなったので祖母代わりだったのかもしれません。

昨日は飛んでいませんでしたが、今日は風も無く良い天気
畑の上には、自衛隊機が何機も飛んでいました。
心穏やかではありません

by majyo (2015-04-22 17:31) 

アヨアン・イゴカー

こういう一人ひとりの記録と言うのはとても大事だと思います。結局のところ、歴史を作り、社会を作り、文化を作っているのは、全ての人々の総合体なのですから。
by アヨアン・イゴカー (2015-04-26 12:37) 

majyo

アヨアン・イゴカー 様

>一人ひとりの記録と言うのはとても大事だと思います

ありがとうございます。
その時代の空気はやはり その時代に暮らした人々が作ります。
決して 公文書のように官僚が作ったものだけではありません。
すべての人の総合体と言っていただけて
逆に私は なるほど!とそう思いました。
このコメント欄で逆に気がつかせていただく事が多いです

by majyo (2015-04-27 08:36) 

kiyokiyo

majyoさん
遅ればせながら、お手紙を読ませて頂きました。
by kiyokiyo (2018-07-16 20:20) 

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