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道路状況は [原発、津波被災地へ]

ネットより.jpg  

北リアス線と海を臨む.JPG

とある漁港.jpg

私の旅は震災後3年だからこそ、すべて予定通り踏破できたのかもしれません。
通った道は津波が押し寄せたところが多く
復興道路と呼ばれる道です。
今日は被災地の道路状況について お知らせしたいと思います。
いわきまではすべて国道6号線。
最初に寄った平潟漁港は国道から中に入ります。
全行程通じて、国道から離れて海岸線に道のある場合はそちらへまわりました。
茨城は比較的被害は少ない。しかし土地の方に聞くと生まれて初めての大きな津波体験。
その時の臨場感あふれる話を聞きました。
原発避難地域を迂回して、南相馬に入りましたが、主要県道があれば海岸線へ。
ナビは本当に便利。
海岸線は、これが本来の姿なのかよくわかりませんが
相馬の慰霊碑の写真でわかるように、何もありません。
がれきも少ない。多分片づけたのでしょう。
常磐線に並行して道はあります。
仙台の若林区、長浜ですが ナビを合わせても何もない。
人家があるところまで行き、聞きました。
荒浜は県道の海寄りにあった町だよ。と指差します。でも何もありません。
今、荒浜の写真検索したら川沿いに民家が並び落ち着いた町のようです。
http://recorder311.smt.jp/blog/29629/

磐城の学校で説明してくださった職員の方は、実家が荒浜で
両親は助かったけれど、家はすべて流されたと言いました。
また、話を伺った場所は津波は押し寄せたけれど、流されるまではいかなかったところです
そして彼の故郷は大船渡で ここもひどかったと聞きました。
港に近い道は埃っぽくて、歩道との境の石が古い石と新しい石と混在しています。
残ったものは使ったのでしょう。

仙台から岩手へは 基本的に国道45号線。
前にも書きましたが これより過去の津波の到達点・スタートという大きな標識があり
ここまでという標識がその先にあります。いくつもいくつもあります。
確かに、標高が低いとわかる。
ただがれき等はありません。1年くらい前までは残っていたようです。
石巻は大きな街。漁港へ向かうが地図には町名が記載してあるのに、先端に行っても町はなし
消えた町でしょう。
ここも大きな工場は稼働していて、活気がありましたが 先端部は道のみで何もなし
漁港は至る所で工事が行われ、前面に災害用の旗を括り付けて走るトラックが多く
着々と復興へ一丸となっているのかもしれません。
石巻からはすべて海岸線を走り、車も少ないことから快適なドライブでした。

しかし、これより続く海岸線はアップダウンが多く、山も迫っていて
時期的にも今が一番だったと思います。
登坂ラインがあり、チェーン着脱場所があり
山が多いからトンネルも多く、でも立派なトンネルでした。
地元の車は強い! 軽でもバンバンと急坂を走り抜けています。
無理しないで抜かされました。
冬は旅行者には厳しい道でしょう。梅雨前の今が最後のチャンスでした。
現在三陸自動車道という有料道路が作られています。
大川小学校にナビを合わせたら、どうしてもそれを通ると言います。
しかし、無料でした。まだ細切れ開通なので多分すべて無料でしょう。
とにかく道は良い。そして道の駅も多くトイレ休憩にも何度か立ち寄りました。
海岸線に沿って三陸鉄道リアス線があります。
やはり南リアス線は橋が落ちていてまだ復旧していません。
北リアス線は大部分開通。
道路は快適でしたが、やはり鉄道は復旧には時間がかかる。
それにしてもこの浜街道と言われる45号線。
海岸線を走るには日本で一番ダイナミックで美しいのではないだろうか。
復興は道半ばまでも行っていないが、先ずは復興工事、物流の為の道路は
つながっていたとご報告いたします。

尚、戻ってきてから色々な疑問にぶつかり
私の頭はパニック


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