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あのころの女学生 [日々雑感]

校友会館

戦時中の制服

先ほど アップした画像にキャンプションを入れました。
思い出さないところもあります。再度ご覧いただければ幸いです。

今日は 母のところへ写真を持って行きました。
今はいわき市ですが その昔は平(たいら)です
母の生まれは茨城県の下館というところですが、
長兄が今は原発立ち入りがここまでという四倉に住んでいて
4人の年子の子供がいたので、子守をしてくれるならという条件で
女学校に通わせてもらったそうです。
私は卒業したと思っていたのですが、長兄が戦死し
学校はあと1年を残して辞めたそうです。
いつもいつも言っていたことは、特待生になりたくて一生懸命勉強したんだよという事でした。
戦争によって学業が道半ばとは今では想像できません。
私自身は 勉強を頑張ったなんて全くないから
あの時代の厳しい生活に、心が痛みました。
土井晩翠の校歌を歌ってくれたし、行ってくれてありがとうと言われました。
今年の5月に 校友会館だった建物は、国の有形文化財として認められました。
建物の前に池があったでしょと言われましたが
そこは埋めたてられたのか? 広場になっていました。
急な坂を上がり、この制服を着て通ったのだなあと思うと 感慨ひとしおです。
戦火が激しい時期の女学校ですから 制服はモンペなのです。
通学の汽車は、前3両が旧制磐城高校、後ろ3両が磐城女学校
はっきり分かれていたとか
前身は明治時代に殿様が作った私学です。

宮沢賢治記念館に行ったと言ったら、私も行ったよと
宮沢賢治記念館で購入した立派な本を出してきました。
私の本好きは母からかもしれません。
全く性格的には違う親子ですが、ここは似ているかもしれません
あと、耳が遠い?

3.11被災地の旅でしたが、ちょっぴり親孝行できたかな?
そんな気持ちです。


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